千葉成田ミイラ事件①の再審支援の会

  高橋弘二の弁護人を務めた川村理弁護士と西村正治弁護士は、メディアの前や著名な映画監督の前で、「この事件は冤罪だ、殺人罪はおかしい」と話した。しかし、彼らでさえ、千葉成田ミイラ事件の再審の弁護人を引き受けられない現実がある。その理由は何なのか? ノンフィクション作家 釣部人裕が、書籍『再審の壁―正義を探し求めた15年』で明らかにする。
 
  1999年に千葉成田ミイラ事件が起き、間もなく15年間になります。事件当初より、私はSPGFの中で、法務を担当しており、この15年間、事件・裁判と向き合ってきました。2009年に高橋弘二が満期で刑期を終え、出所してからの5年間は、再審をめざして取り組んできました。しかし、いまだに再審請求はできていません。私は、これまでに、弁護士50名以上、法医学者82名に連絡を取りました。冤罪を晴らすにはどうすればよいか、尋ね歩いたのです。
  「再審請求の壁は厚い」「針の穴にラクダを通すより難しい」などと言われています。どれ程の壁の厚さなのか、どれほどの難しさなのか。私は再審というものに間違ったイメージを持っていました。再審は、再審請求をして、そこからが難しいと思っていました。しかし、現実は、再審請求という、その厚い壁に、向き合うことすらできない、そのことを思い知りました。この書籍には、そのことが書いてあります。 
 
 これまでに、多くの弁護士と面談する中で、「一審、控訴審の弁護人は何をやっていたんだ、全く戦ってないじゃないか」、そう言う弁護士の方が何人もいました。私はそれを聞いて愕然としました。
 一審と控訴審は、私選弁護人の川村理弁護士でした。救援連絡センターの事務局で紹介してもらった弁護士です。逮捕者10名の内、高橋と被害者とされた小林晨一さんの長男の2人が起訴をされました。
 大きな事件だから、弁護団を組む必要がある、費用もかかる、という話でした。当時の私は何も知りませんでしたので、まず金額を言ってください、そのような話をしました。高橋と長男の2人に、川村弁護士を主任弁護人として、他2名の弁護士で弁護団が結成されました、数百万というお金を、3名に着手金として支払いました。その後、毎月数万円払い、接見に行ってもらったりしました。
 
 当然私は、高橋と長男と、同じ弁護方針で、弁護団が団結して闘ってくれるものだとばかり思っていました。しかし、弁護団ミーティングの第二回目から、高橋と長男は、弁護人が分離となりました。思いもよらない動きになり、私は非常に驚きました。弁護士の言われるまま、それぞれ分離して闘うことになりました。
 
 この事件、ミイラ化遺体発見と報道されました。被害者とされる晨一さんは7月3日に死亡したとされましたが、ホテルの一室にいて、11月11日に成田署が晨一さんを死体として連れて行くまで、約4ヵ月あります。場所は、千葉県の有名ホテルです。季節は、梅雨と夏を通過します。ご遺体がどのようになるか、想像してみて下さい。
 一週間で腐乱し蛆がわきます。ホテルですから、上下の階から死臭で苦情が来るはずです。他の宿泊客も気が付くはずです。しかし、そういった苦情・通報は一切ありませんでした。目張りをしようが、臭いを消すことは一切不可能です。そのことを一審で扱って欲しいと、川村弁護士にお願いしたのです。争点を、死因と死亡推定時期にして欲しいと。
 
 死因は窒息死でした。鑑定結果は脳出血の疑いです。脳出血であれば、事件性のない病死です。殺人事件ではありません。そこで、川村弁護士は「そんなことを争点にしたら、バッチをはずさなければならない」そう私に言いました。高橋には、接見で、検察官、裁判官の前で、証拠を出したら、ばさっと机からよけられて、お前も将来があるんだろうと言われたと、暗に脅されたという主旨のことを話したと言います。しかし、後から弁護士を訪問中にわかったことは、そんなことはありえない、ということです。
 もし脅しに屈したのであれば、それこそ、弁護士として裁判中の中で訴えるべきだと。そもそも、裁判官、検察官が、そんなこと弁護側に言うはずがないと、そういう話を聞きました。また、争点にできないなら、辞任すればいいのだとも。
 結局、高橋は死因と死亡推定時期を争点にしてもらえなかったことなどから、控訴審終了後、川村弁護士を解任しました。
 
 私は、今年(2014年)2月に発刊した書籍『雪冤-冤罪のない社会へ』を、川村弁護士にお届けし、お話しを聞こうと、電話とメールをしました。しかし、彼はノーコメントです。いまだに話をしてもらえていません。15年といえば、昔の法律でいうと、殺人罪の時効が成立する期間です。過去の個人的なことを、とやかくいう気はありません。真実を知りたいのでお話しください、そう言いました。しかし、ノーコメントです。
 川村弁護士は、映画『A2』というオウム真理教を扱った映画に登場していました。その映画監督である森達也氏を訪ね、事件の話をしました。そうすると、森監督も、「確かに、疑問点があるので聞いてみるよ」と、そう言って聞いてくださいました。
 その結果、川村弁弁護士は、森監督に「あの事件は殺人事件ではありません」とはっきりと答え、「いびつな裁判だった」と答えたそうです。私には、話してくれませんでしたが、第三者にはそう言っていました。
 
  次に、上告審です。私たちには、十分な資金もなく、ボランティアが、毎月、コツコツ自分の給料から払えるだけ払って、貯めたお金で弁護費用を払っていました。高橋がそのことを気にしていたのでしょうか、国選を希望し、西村正治弁護士がつながりました。
 
 すぐにご挨拶に行き、事件の説明をしました。私は驚きました。お金を全然払っていない弁護人なのに、私選の川村弁護士より、一生懸命、誠実に裁判をしてくださる。そして、これまで開示されなかった、晨一さんの頭部CT画像の写真を、検察から開示させました。こんなに違うものかと思いました。これが本物の人権派弁護士だ、そう思いました。
 そして、上告審では、そのCT画像の写真の鑑定を依頼することとなり、西村弁護士は動いてくださりました。高橋と私には、鑑定を取ることを約束してくれていましたが、結果的には、鑑定までには至りませんでした。西村弁護士からは、「精一杯のことをしたが、結果として鑑定を取ることはできなかった」と聞いていました。あんなに誠実に動いてくれたのだから、それはしょうがなかったのかと、そう思いました。
 その後、確定判決が出ます。その後も、私たちはことあるごとに西村弁護士に有料で法律相談をお願いしていました。そして、高橋が出所し、今はありませんが、当時の赤坂プリンスホテルのビジネススイートの客室にて、西村弁護士と、事件当時高橋を直接取材したTBS報道局のスタッフである貞包史明氏と金子久伸氏の2名が、高橋とボランティアメンバーの面前でミーティングをしました。
 西村弁護士は、メディア関係者がいる前で、この事件は冤罪だと思うと、そのように話をしています。さらに、上告審での私とのミーティングでも、これは殺人罪はないね、おかしいねと、そう話していました。高橋が出所後、再審準備には、私は、上告審を引き受けてくださった弁護人に再審請求予定弁護人として活動してもらうのがよいと思い、西村弁護士に相談しました。彼は冤罪だと思っているので、快く引き受けてくれました。
 そして、私が書いた書籍『千葉成田ミイラ事件①』を持って、メディアを廻る際に、ただ私が冤罪だと言っても門前払いになると思い、西村弁護士に文章を書いていただけませんか、とお願いたところ、西村弁護士は快く書いてくれました。「この事件は冤罪だと思っています。私は上告弁護人です。是非もう一度検証してもらいたいと思います」そのような趣旨の文章です。
 それを持って、私たちは各メディアを訪問したのです。ですから、西村弁護士は、この事件を冤罪だという認識があります。
 さらに、再審弁護人を依頼するにあたり、費用はどうしましょうか、という話になりました。大変高額な費用を口にされました。私は、他に再審経験のある弁護士とも会っていましたので、「再審の場合何年かかるかわからないから、お金は取れないでしょう。実費はもらうとしても、成功報酬は望めないし、何もないよ。」そう言われました。結局、ある法医学者の鑑定書の内容を巡って、高橋と意見が異なり、この話は解消されました。
 
 それから2年の月日が流れ、今年の4月、書籍『雪冤』で提唱した、関東再審弁護団連絡会の設立についてのアドバイスをもらおうと思い、連絡を取りました。そして、取材も依頼し、協力してくださいました。取材の内容は、結果として書籍『千葉成田ミイラ事件①』において、先生が関与した部分は、その通りという内容になりました。ただ、このとき袴田事件について、週刊現代に当時関わった警察官、検察官等の実名が出て、晒されているのを見て、西村弁護士についても、鑑定書を取れませんでしたので、そのようにメディアに書かれたらまずいと思い、余計なことは書かず、書籍『千葉成田ミイラ事件①』に書いてある通りだというだけにして、今後協力し、良好な関係にある、というだけにしませんかと、話をしました。
 そうすると、西村弁護士は大激怒され、「取材は撤回します」と言ったのです。私は、非常に驚きました。鑑定書のことは、「精一杯やって取れなかった」と、以前に私は聞いていました。しかし、そこで西村弁護士の口から出たのは、「そもそも、上告審には鑑定書はいらないんだ。」という主旨の発言だったのです。さらに、「争点は、他にも一杯あるんだから、鑑定書はなくてもいい。医者から聞いた話を入れたら、それで良かったんだよ」と、そのようなことを話されたのです。私は衝撃を受けました。今まで誠実に、真剣に戦ってくれていると思っていたのが、ポーズだったのだと思いました。
 
 「再審請求は楽さ。勝つ心配をしなくてもいいんだもん。だって、負けるんだから…」
 死刑再審4事件の一つである財田川事件の弁護人であった岡部保男弁護士が再審請求準備をはじめた私に話してくれた言葉です。
 「再審は、とにかくその壁の前で向き合い続けるんだ。そしたら、ひょんなことからドアが開いたり、今まで何度も見ている証拠なのに、ひょんなことから新証拠になるヒントが隠されていることに気づいて、ドアの鍵穴が見えてくることがあるんだよ。とにかく諦めないで、向き合い続けることだよ。長丁場になるからね。」とも。
 まさか、これを逆利用されたのでしょうか?
 
 弁護士の正義とは何なのだろうかと、今でも思っています。当時、関わった弁護人が、川村弁護士も西村弁護士も、「この事件は冤罪だ、殺人罪はおかしい」と言っています。しかし、その弁護人が再審の弁護人を引き受けられない現実があるのです。
 
 その他に、面談した弁護士の中でも、「この事件は冤罪だね。殺人罪ではないと思うよ。」と言ってくれた方もいます。その弁護士も再審の弁護人を引き受けることには躊躇します。冤罪だと思っていても、弁護人にはなってもらえない、という現実があるのです。
 今お話したのは、この書籍の一部です。当事者として関わった、一審、控訴審の弁護人、上告弁護人が、メディアの前でも冤罪だと思う、著名な映画監督の前でも、この事件は殺人罪ではない、と言っていながら、再審弁護人にはならない。
 その理由について、この書籍『再審の壁―正義を探し求めた15年』で、詳しく書いていきたいと思います。
以上

▼『再審の壁―正義を探し求めた15年』表紙(左)とプロモーションビデオ(右)